【初めての方はこちらからご覧ください】安慶名紀昭の半生と店舗経営支援コンサルタントとしての思い

安慶名紀昭の半生からお話しさせていただきます。

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生い立ち

1967年7月 那覇市生まれ。

泊小→那覇中→那覇高→沖縄国際大学。

親父が元警察、口よりも先に手、優しさよりも暴言が先にくる教育で育ちました。

小学校の時は友人が極端に少なく、それを改善すべく中学校から吹奏楽部に入部、

それがきっかけで多くの友人・先輩・後輩・知人と輪を広げることが出来た、とても大切な時期です。

吹奏楽ではチューバという楽器を担当していたが、この楽器キッカケで妻とも知り合えて結婚が出来ました。

いつものまにか息子も同じ楽器を吹き始め、家族の絆の中心には楽器があり、とても幸運だし不思議な縁だと思います。

吹奏楽

小学校まで内気な性格、中学校での吹奏楽部入部がキッカケで、人前に出る事が苦痛では無くなりました。

「吹奏楽」は、自分の人生の大黒柱です。

   

夢への挑戦

20 歳の時、誰にも相談せず大学を休学し、高校の時からの夢であった音大 受験をとりあえず挑戦。

親に頼らずに一人で出来るか試したかったところも あり、とにかく上京しました。

バイトも見つかり、専門の先生にも付くことが出来たが、生活よりもレッスンを優先した極端な生活のため2ヶ月で 20kg 近く体重がダウン!それが最大の要因で受験には失敗してしまいましたが、その時期に出 会ったバイト先の会社で「営業・販売の魅力」に気づく事が出来ましたし、人の縁も感じられました。

また、どこでで も生きていけそうな「自信」がついたのは大きな成果ですね。

挫折の20代

夢を追いかけてばっかりの10代後半から20代前半のツケがまわったのか、復学した大学では同期生の輪に戻れず、年下の同学年は馴染めず、結局自主退学。

しかし、負けてられないと県庁職員の期間職員(嘱託)等をしながら公務員勉強を続けたが、結局それも断念。

(「公務員は性に合わない」と捨て台詞)。

親から反対されていた営業職につくべく一念発起するも、中途採用先も選り好みしてしまう始末。

金銭的に危機を迎えた時に、エイヤっで受けた中古車情報誌の営業にようやく採用され、そこから印刷の人生が始まりました。

親への反骨精神から

今から思えば、親の言うとおりにやっていれば20代もそんな挫折等せずに過ごせたんでしょうが、自分の価値観からすると面白みの無い人生だったろうに思います。

親に反抗し、いつか見返してやるという思いから、親の思いとは逆の「自分のやりたいこと」にとにかく挑戦していくという20代はまたやってみたいか?と聞かれれば、答えは即答でイエスしか無いですね。

金銭では買えない経験や縁を、嫌というほどこの身に染み渡らせながら熱く生きることができた20代、後悔等微塵も無いですよ(本音)。

しかし、現在50代の私が振り返ってみると、目標を持ち、それを達成するためには必ず「困難」が必要だと言う思い込みを作ってしまったのは、この時期のような気がします。

仕事が生きがい

中古車情報誌の営業から印刷会社の法人営業へと転身すると、結果を出さなきゃという強い思いから盆と正月以外は休まずに一生懸命働いたのを思い出します。

時間も関係なく強烈に働いていたので、その相手をしていただくお客様も強烈に働いている方が多く、夜中の0時を過ぎてからの打合せ等は日常茶飯事。今の自分だったら気持ちがひいていたかもしれないが、あの頃は若かった!23時の打合せの修正確認をその3時間後の26時に行っていただいたことは今ではいい思い出ですよ、ほんと。

傍から見ると「仕事=生きてる証」のように見えたかもしれない。

その時学んだのは「真剣に仕事をしている方」は「真剣に生きている人」だったということ。

人を大切に、とは良く言うが、人の生き方を大切にする事を肌で学んだ時期だった!

仕事観

一生懸命働く素晴らしさを知ったし、その対価もプラス・マイナス関わらずいろんなものを味わってきました。

経歴的には起業経験を2回体験しているんだけど、やっぱり知らない事を知るためにいろんなことにお金を払ってきました。授業料と言うにはちょっと高すぎない?なんて思いつつも、騙されたなんては思わないようにしてきたつもりです。

そういう中で一番思うのが、やっぱり騙されてたよ、ということ。

それは詐欺的な事でではなく、わかっているフリをして実のところ本質を掴めていないのにも関わらず、理解しているから大金を支払っているように見せかけていた、自分に自分が騙されてきたと思えるようになったこと。

この結論に至るのに少し時間がかかったので、授業料は他人より多めに人生学校に納付しています。

しかし、他の経営者さんには、私のように自分に騙されてほしくない、

私は自分の仕事・人生・事業を通して

○印刷・看板に関すること

○マーケティングに関すること

に関して実地で学んできたという自負があるので、そこにはノウハウと呼べるものや、経験や自信もあります。

今やらなきゃいけないって思い始めると、優先順位を持たずに兎に角突っ走ってしまう癖がある私です、それは「弱み」と言っても過言ではありません。だからこそ、冷静な判断を待たずに、過去の成功体験からの感覚を「一流の勘」と称して判断してしまう癖を持ち出し、自分自身で自分を騙してしまっていたんですね。

今の私には、それに気づかせてくれる貴重な仲間や身内がいます。そして、何より「自分の棚卸し」を起業と同時期に行えたことが、先程の「弱み」を「強み」に変えてくれています。

そして・・・

これまで印刷や看板などに携わってきた中で、多くの飲食店経営者と知り合うことができました。

その中でも利益が残りにくいという悩みがあり、それが原因で経営が悪化し廃業した経営者を多く見てきました。

その利益への思いと私の半生がかぶり、私が経験してきたことが、同じように悩んでいる飲食店経営者の支援に繋がればという思いで、現在は店舗経営支援のコンサルタントして活動しています。

私が支援してきた飲食店では、利益が残りにくいという悩みが改善し、今ではコロナ禍でも売上、客数ともの右肩上がりです。

最後に

飲食店様だけに限らず、2020年以降は会社経営・店舗経営が今までとは違う価値観や経営手法が求められてきます。

利益追求が横糸だとしたら、理念や思い、そして人の縁等を縦糸とした一枚の布を織り込んでいくイメージが、これからの経営には必須になってきます。

店舗経営支援のコンサルタントと業務名ですが、しっかりとした横糸を作る工夫の発見をご一緒にしながら、どういう思いの縦糸を紡いでいけるのかを支援出来ればと思います。

その向こうには、理想通りの美しい絹のような華やかな生地が出来上がっているはずです。

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